常安寺
志摩国第一の巨刹であり、九鬼家の菩提寺です。九鬼家の廟と、嘉隆の業績が漢文で刻まれた石塔などがあります。西南戦争の際には鳥羽港に寄港された明治天皇が奥書院に宿泊されました。もとは大福寺と呼ばれ九鬼嘉隆の菩提寺でしたが、嘉隆の逝去後、菩提供養のためにその息子守隆が改築し常安寺と改められました。境内には市指定文化財として、九鬼守隆が父嘉隆の菩提を弔うために寄進した石灯籠や、守隆が寄進した鰐口、九鬼家の廟所、稲垣氏歴代の墓碑などがあります。また九鬼嘉隆が自害に使ったと言われる短刀や、九鬼嘉隆画像、鐘楼などもあります。本尊は釈迦如来座像で、境内には改築された本堂をはじめ、山門、薬師堂、庚申堂、十王堂、地蔵堂、鐘楼などの諸堂もあります。
金胎寺
少し高台にあり、鳥羽の景色、鳥羽湾を眺めることのできるお寺です。裏山には新四国八十八ヵ所小霊場があります。高野山真言宗のお寺で千手観音が祀られており、開山は弘法大師によるとのことです。 その後九鬼嘉隆が城を築いた折り当山に移し、内藤忠政の時代に観音院と改められました。明治維新後、城山大山祇神社の背後にあった稲垣家の祈祷所金胎寺を当寺に合祀し、金胎寺と改称しました。境内には松尾芭蕉の句碑「ほととぎす消えゆくかたや島ひとつ」、蒲庵奇石の句碑 「飛とすじにまよはて雪の山路かな」、藤本壷遊の句碑「志ら雲に添ふて散りゆく桜可南」があります。
金胎寺の四国八十八ヶ所
この八十八ヶ所の石仏は金胎寺の境内の山側にあり、小さな祠に2体ずつ収まっています。四国八十八ヶ寺めぐりのミニ版と言えるもので、寺の縁起によれば四国の船頭が開いたといわれています。山道には祠(札所)が並び、各霊場寺院の御本尊、弘法大師がお祀りされており、四国八十八箇所霊場の写しである当山の札所を全て巡りお参りし、結願成就することで四国八十八箇所霊場と同じ御利益を得るといわれています。また、もう一つのお伊勢参り「伊勢西国三十三所観音巡礼」の第6番、伊勢と伊賀を巡る、御遍路「三重四国八十八ヶ所巡礼」の86番でもあります。